いったいどんな状況なんだ、というイメージをするための架空のストーリーです。
※ 有料版 Gemni、ChatGPT を活用しながらまとめた、個人的学習メモです。条文を引用するなどしてハルシネーション回避に努めておりますが、その点はご了承ください。
問題:Bの時効完成前に、CがAから甲を買い受けて所有権移転登記を了した場合、Bは、Cに対して、登記なくして時効による所有権取得をもって対抗することができる。(正解:妥当である)
登記があっても勝てない?――田舎の土地に眠る「時効取得」の現実
Aさん(年老いた主人)の静かな余生
Aさんは、町外れの広い土地を持っていました。
かつては家庭菜園をし、小さな納屋も建てていた土地ですが、年齢を重ね、体力的にも管理が難しくなり、いつしか放置されるように。
そんなAさんの世話をよくしていたのが、近所の家のBさん。
正確にはAさんと血縁はないけれど、昔から付き合いが深く、Bさんの父親が生前Aさんの手伝いをしていた縁で、Aさんも何となく安心して土地を任せていました。
「好きに使っていいよ」
そんな一言があったかどうかも今となっては曖昧です。
しかし、Bさんは20代の頃からその土地に入り、草刈りをし、畑にし、壊れかけた納屋を修繕して使い始めました。
書面も契約もない。ただ、誰も何も言わなかった――それが20年以上も続きました。
Cさん(Aの甥)が登場。「何でBが住んでるの?」
時は流れ、Aさんは施設に入りました。
そんなある日、Aさんの甥であるCさんが久しぶりに田舎に戻ってきます。
土地を見に行ったCさんは、驚きます。
「何で、うちのおじさんの土地に、Bさんが住んでるんだ?」
納屋は綺麗に修繕され、畑もきちんと手入れされている。
でもCさんからすれば、「これはうちの土地だ。おじの財産を勝手に使っている不届き者がいる」としか映りませんでした。
怒ったCさんは、Aさんから土地を買い受け、自分名義に登記まで済ませました。そしてBさんにこう告げます。
「ここは僕の土地です。すぐに出ていってください」
Bさんの反論:「私は20年、ここを守ってきました」
ところがBさんは、あっさりとは退きませんでした。
「もう20年以上、ここを自分の土地と思って使ってきた。あんたが来る前からずっとだ」
法的には、これが大きな意味を持ちます。 民法162条により、
- 所有の意思で
- 平穏かつ公然に
- 20年間占有し続けた者
は、その土地の所有権を時効で取得できます。
Bさんは、そのすべてを満たしていたのです。
登記があっても勝てない理由
Cさんはたしかに、Aさんから土地を買い、きちんと登記も済ませています。
でも、それがBさんの「20年間の事実」を上書きできるかというと――答えは「NO」。
なぜなら、Cさんが登記を得たのは、Bさんの時効が完成する前だったからです。
この場合、民法177条の「第三者」にはあたらず、Bさんは登記がなくてもCさんに時効取得を主張できるのです(最判昭和41年11月22日)。
✔️ 登記があっても、時効完成前の登記取得者には対抗できる
という判例上の原則が、Bさんを支えました。
人間関係の裏にある民法の理屈
このケース、どこか人間ドラマのようでもあります。
- Aさんは、Bさんに言葉では言わなかったかもしれないけれど、「使っていいよ」と思っていた
- Bさんはそれを信じて静かに暮らし、土地を守った
- Cさんは、相続の話も含めて「自分が正当な所有者だ」と思っていた
でも、民法は言います。
「長年、誰も文句を言わずに管理してきた人の方が、本当の意味で“所有者”にふさわしい」
そしてその考えが、時効取得制度の根っこにあります。
まとめ:登記より強い“生活の事実”がある
- 登記があっても、必ず勝てるわけではありません
- 占有者が20年、静かに土地を守り続けていたら
- たとえ法的手続きを踏んだ相手でも、時効取得は成立する
この話は、「誰の土地か」を巡る登記と実体のズレ、そして人の思いが交差する、まさに“民法の深み”を感じさせる一例です。
もし、あなたの土地にも「なんとなく誰かが使っている」状態があったら…今のうちに一度、確認しておいた方がいいかもしれません。
ちなみに、このケースは時効前に登記をした前提になっていますが、実は・・・|背信的悪意者
今回のストーリーでは、CさんがBさんの時効完成”前”に登記を得た前提で展開しました。だからこそ、Bさんは登記がなくてもCさんに対して所有権を主張できたわけです。
でも、もしCさんが登記を得たのがBさんの時効完成”後”だったとしたら――話は変わります。
この場合、原則としてCさんは「民法177条の第三者」にあたり、Bさんは登記がなければCさんに時効取得を主張できません。
ただし例外として、CさんがBさんの占有状況や時効完成を知っていて、それを無視して登記を得たような場合(=背信的悪意者)は、判例上、登記の対抗力を否定されることもあります。
つまり、登記がある・ないに加えて、「いつ登記をしたか」「どんな態度で登記をしたか」まで見られるという、非常に繊細な判断が求められるのが、この分野の奥深さでもあります。

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